音楽制作をする上で悩みの種になるのが音圧調整の部分です。
かつては曲の音圧をいかにして上げるかというのが個人音楽制作者(DTMer)の課題だったのですが、数々の優秀なプラグインの登場により、音圧を上げること自体は非常に簡単になりました。
今問題となっているのは、マスタリングにおいてどこまで音圧を上げるべきか、ということです。
現在の音楽鑑賞の主流となっている音楽ストリーミングサービスでは、ラウドネスノーマライゼーションにより、曲の音をいくら大きく仕上げても、再生時に一定の音量に抑えられてしまいます。
その基準というのは各社バラつきがありますが、だいたい-14LUFS(Integrated)か、それより少し低いくらいの値になっています。
実際にストリーミング大手のSpotifyでは「マスタリングのヒント」として、-14LUFS(Integrated)、-1dBTP(トゥルーピーク)の設定を推奨しています。
こういったことから、これからの音楽制作は、この基準に合わせた音圧調整が必要なのではないかという議論があるわけですが、いろいろ調べて自分なりに考えた結果、この基準(-14LUFS/-1dBTP)に合わせるのをやめることにしました。
これは賛否両論があると思うので、この記事を参考に、というのではなく、ひとつの意見として捉えていただければと思います。
LUFSについてはラウドネスノーマライゼーションの記事で解説しているので、そちらをご覧ください。
※この先の文章に出てくるLUFSはすべて、曲全体の値であるIntegrated(インテグレイティド/統合)になります。
私が目安にしているLUFS
まず最初に結論、というか現在私がマスタリングをするときにターゲットにしている数値を発表します。
-8.5LUFS前後
この数値は、現在の一般的なポピュラーミュージックのCD音源に近いもので、音圧もしっかりあります。かといって大きすぎるわけでもありません。
LUFSは曲調や曲の展開によっても変わってくるので(たとえばサビは大きくてもそれ以外が静かだとLUFSの数値はそれほど上がらない)、この数値にこだわっているわけではありませんが、ボーカルやビートがある一般的な曲の場合は、だいたいこの範囲に収めるようにしています。
曲調にバラつきがある場合は、Momentary(400ms間の最大ラウドネス。曲中で瞬間的に一番音が大きいところ)を参照することもあります。こちらは-5.0前後を目安にしています。
これらの数値はもちろん音楽のジャンルによって違いがあり、EDM系の曲ならもっと高いですし、ジャズなどのアコースティックなジャンルなら低くなります。要はそのジャンルのCD音源に近いLUFSということです。
-8.5LUFSにした理由
マスタリングをする際に、おそらく多くの人はプロのエンジニアが手がけた楽曲を参照すると思います。いわゆるリファレンス曲というものです。
個人的にはプロの曲の中でも、アメリカのヒットチャートに載るようなメジャーな最新曲を参照することが多いです。最先端かつ今のトレンドが反映されていると思うからです。
そうした楽曲を聴いてみると、ストリーミングサイトにおいても-14LUFSより上の、音圧をしっかり上げた音源が配信されていることがわかります。
ここが大きなポイントで、試しにSpotifyをアプリではなく、ラウドネスノーマライゼーションがかからないパソコンのブラウザで聴いてみてください。邦楽でも洋楽でも、メジャーなプロの曲で-14LUFSまで下げているものは見当たらないと思います。
プロが-14LUFSをターゲットにしていないなら、自分もする必要はないじゃない、というのが、これまで通り音圧を上げることにした一番の理由です。
実際には-8.5LUFS(Integrated)より大きいプロの曲もたくさんありますが、自分の場合だとそれ以上にすると大きすぎるように感じるので、この数値程度に留めるようにしています。
最近のプロの曲のラウドネスの傾向
かつて、音圧戦争(ラウドネスウォー)と呼ばれる、音圧を稼ぎまくることが正義な時代がありました。2000年代半ばから2010年代半ばくらいの話です。
それ以降は音圧をやや抑えた曲が多くなっていったのですが、ここ数年のアメリカのメジャーの曲を聴くに、音圧がもう1段階下がりつつあるように感じます(統計を取ったわけではなく体感なのですが)。おそらくは、ラウドネスノーマライゼーションを備えたストリーミングサービスが主流になったことが影響していると思います。
わかりやすい例でいうと、カルヴィン・ハリスが2017年に出したアルバム「Funk Wav Bounces, Vol.1」の全曲平均LUFSは-7.5ですが、2022年の「Funk Wav Bounces, Vol.2」では-9.4となっています。Vol.2の1曲目の「Intro」はビートのない静かな曲で、LUFSが-13.5とかなり低くなっていますが、これを除いたとしても-9.1です。
同様に、テイラー・スウィフトの2014年のアルバム「1989」の全曲平均LUFSは-8.5で、2022年の「Midnights」は-10.3になっています。「Midnights」にも-13LUFSくらいの静かな曲が3つあり、それらを除くと平均-9.6LUFSになります。
「1989」を取り上げるなら、再録した「1989(Taylor’s Version)」と比べたほうがどう考えてもわかりやすいのですが、残念ながらそちらは持っておりません<(_ _)>(配信で聴いた限りだと2014年版と変わらないくらい音が大きいかも……)
これらの傾向を見ると、私がターゲットにしている-8.5LUFS前後でもまだ高いほうなので、もう少し下げてもいいかなと感じるのですが、もっと高いラウドネスにしている曲も普通にたくさんありますし、Integratedなので曲調次第かなとも思います。ビートがあって楽器がわちゃわちゃと鳴っているポップスなら-8.5LUFS前後で、静かめのバラードならもっと下げた値をターゲットにする、といった感じです。
結局これも、数値だけでなく“聴いた感じ”でのバランスが大事になってきます。
だったら最初から聴いた感じでいいじゃん、という話なのですが、数値は数値で一定の目安になるので有用ではあります。
プロが-14LUFSをターゲットにしない理由についての考察
なぜプロは、ストリーミングサイトのラウドネスノーマライゼーションによって音量が下げられてしまうのに、-14LUFSをターゲットにしないのか。これについてはいくつか理由が考えられます。
まず、ストリーミングサイトとCD&ダウンロードで、音源を分けることができないというのがあげられます。
分けてしまうとマスター音源が2つできてしまい、それぞれに識別コードが付与され、同一曲として管理することができなくなってしまいます。
また、ストリーミングサイトに合わせてマスタリングした-14LUFSの音源と、CD&ダウンロード用の-8.5LUFSの音源があった場合、この2つの音質は誰が聴いても明確に異なります。互いが互いのリマスタリングバージョンのような状況になってしまうわけです。
新曲を発表するときに、音質が明らかに違う2つのバージョンを同一のものとしてリリースするというのは現実的ではありません。
あとは、単純に2つ分マスタリングをすることでお金が余計にかかる、というのもあります。
では、ひとつのマスター音源をリリースするとして、それを-14LUFSにしない理由とはなにか。
これに関しては推測ですが、以下のようなことが考えられます。
・音圧をこれまでのCD音源と同じくらい上げたもののほうが、音質的に好ましいと感じる。
・-14LUFSまで下げてしまうと、ラウドネスノーマライゼーションがかからない環境で、ほかの曲と音の大きさの差が出てしまう。
・基本的にラウドネスノーマライゼーションは音量を下げるだけなので気にしていない。
誤解を恐れずいうと、現代のポピュラーミュージックにおいては、曲のダイナミックレンジというのはただ広ければいいというわけではなく、ある程度の圧縮感があったほうが迫力が出ていい音に感じられるのではないかと思います。
リスナーもCD音源の音圧に慣れているので、それくらいあったほうが聴きやすいと感じるのかもしれません。
そもそもラウドネスノーマライゼーションというのは業界で統一されたものではなく、音楽配信サイトを運営する企業が独自に定めたものです。それぞれ異なる基準を採用し、この先それが維持されるかどうかもわかりません。実際にYoutubeでは-13から-14に変わったようですし。
また、環境によってはラウドネスノーマライゼーションを解除することもできますし、Spotifyのように-14以上(-11LUFS)の設定にすることも可能です(プレミアムプランのみ)。Spotifyに関しては、マスタリングのヒントとして-14LUFSを推奨しているのに、それ以上の設定にできるのはなぁぜなぁぜ(古い)という感じですが。
結局のところ、ラウドネスノーマライゼーションを気にする必要があまりない、とプロは判断しているのかなと。
Youtubeでは、アップロードした動画に対して強制的に-14LUFSのラウドネスノーマライゼーションがかかりますが、プロのMVを見てみると、多くのものはガッツリと音量を下げられていますしね。
たまにほとんどノーマライゼーションがかかっていないMVもありますが、MVに演技のパートが入っていて、その部分の音量に合わせて書き出しているだけで、元曲は普通に音圧が高いという場合もあります。つまり、Youtube用に-14LUFSに合わせたマスタリングをしたわけではなく、ただ音量を下げているだけ、というパターンです。
プラグイン開発者の意見
マスタリングプラグイン「MASTER PLAN」の開発者であるSam Fischmann氏は、適切なラウドネスについて以下のように語っています。
「適切なラウドネス」は、マスタリングをする音楽のジャンルやタイプによって違います!
〜中略〜
ストリーミングサービスで基準として定められた「LUFS」レベルを達成することは、そこまで重要ではありません。よりラウドなミックスの方が、より幅広いリスニング環境でより良いパフォーマンスを発揮します。
引用:https://sonicwire.com/news/blog/2024/07/musik-hack-interview
“ストリーミングサービスで基準として定められた「LUFS」レベル”とは、-14LUFSのことだと思います。
Fischmann氏は、それよりもラウド、つまりより高いLUFSにしたほうが、いい結果を生むと述べています。
追記:CDと配信でマスタリングを分けた曲
上で“ストリーミングサイトとCD&ダウンロードで、音源を分けることができない”と書いたのですが、分けている曲を発見してしまいました。
2008年発売の、宇多田ヒカル「HEART STATION」です。
この当時は配信といえばストリーミングではなくダウンロードだったので、正しくは、CDとダウンロードで異なるマスタリングをしてリリースした、ということになります。しかも、それぞれを海外のトップクラスのエンジニアが担当するというとんでもない贅沢っぷりです。
これがニュースになるくらいなので、この方式でリリースするのは異例ということなのだと思います。
少なくともCDとダウンロードで音源を分けることは可能ということが判明しましたが、その後同じような事例は聞かないので、おそらくこれはレアケースなのではないかと。
気になるのは現在において、ストリーミングとCD&ダウンロードで音源を分けているプロの曲があるのかどうかです。今のところないとは思うのですが、もしかしたらこの先そんなチャレンジをするアーティストが出てくるかもしれません。
……いや、それよりかはCDを出さずに配信だけにするパターンのほうがありそうです。最近のドレイク(Drake)はすでにそうなっています。ただしリリースされる音源はCDレベルの音圧上げがされたものですが。
まとめ
なにか音響学的な考察があるわけではなく、プロに倣って自分の曲もこれまで通りの音圧でいくことにした、という、かなり他人任せな内容でした(笑
プロ任せということは、今後の動向次第で今回あげた数値も変わっていくと思いますが、音楽業界でラウドネスの統一基準が作られて、それが音楽プレーヤーにも適用されるようになるまでは、おそらくこのままでいくのではないかと思います。
ちなみにもうひとつ、LUFSとともに語られることの多い、True peak(トゥルーピーク)というものがあります。
こちらについては次回。