音楽生成AI(Suno AI /Udio)の進化が止まりません。プロンプト(指示文)をいくつか入力するだけで、ものの数秒で、しかも以前とは比べものにならないクオリティの歌入り楽曲が生成される時代になりました。
これは音楽制作の民主化という意味では素晴らしいことなのですが、既存のアマチュアミュージシャン、特に曲作りの先にプロや収益化を見据えているDTMerにとっては、素直に喜べないところがあるのではないでしょうか。
今回は、AI時代におけるDTMerの立ち回り方や、今後の音楽業界がどうなっていくのかについて考察していきます。
努力の価値の暴落と「AI疑惑」の眼差し

これまでのアマチュアミュージシャンたちは、音楽理論の本を読み漁り、コード進行に悩み、EQの周波数を微調整して、何年もかけてやっと「それっぽい曲」を作れるようになってきました。 曲作りとそのクオリティを上げることに膨大な時間を費やしてきたわけです。
ところが今のAIは「80年代風のシティポップ、女性ボーカル、切ない感じで」と入力するだけで、アマチュアミュージシャンたちが数年かけて培ったスキルを一瞬で飛び越えるような曲を吐き出してきます。 こうなると、自分は何のためにあんなに勉強してきたのか? という、根源的な問いが湧き上がってきます。努力の価値が暴落した、といってもいいかもしれません。
そしてもう一つ深刻なのが「AIで作ったんでしょ?」というリスナーからの眼差しです。これが本当に厄介です。どれだけ手間をかけて、一音一音手打ちで打ち込んだとしても、クオリティが高ければ高いほど、聴き手から「これAI?」と疑われるリスクが出てきました。
AI疑惑を晴らすために、わざわざ制作画面のスクショを見せたり、パラデータを公開したりするという、なんとも不毛な証明作業が必要になりつつあります。
「いい曲ができた!」と純粋に喜ぶ前に、「AIだと思われないかな……」と不安になる。この図式はアマチュアDTMerのモチベーションを大きく削っていきます。
今後の音楽業界はどうなるのか
今後、プロの世界も含めた音楽業界はどうなるのか。
すでに名前とブランドが確立されているアーティストは、AIの影響をほとんど受けないでしょう。ファンは曲のクオリティだけでなく、その人の人生や文脈を消費しているからです。
名のある作曲家や作詞家も、厳しくはなってくるでしょうが、業界とのつながりが続く限りは大丈夫ではないかと思います。
問題は、これから世に出ようとしている無名のアマチュアや新人です。
AIによって生成されたハイクオリティな楽曲がネット上に毎日大量にアップロードされる中、自分の曲を見つけてもらうのは、砂漠で針を探すようなものだといえます。
生き残るのは「身体性」

そんな状況下で、今後も価値が残り続けるのは何か。それは皮肉にも、DTMとは対極にある身体性を持ったものではないかと思います。
一つは「ボーカル」などの、キャラクターを前面に出した存在です。
AIの歌声は完璧ですが、誰が歌っているかという物語がありません。アイドルやシンガーソングライターのように、その人の顔を見て、その人の声を聴きたい、と思わせるタレント性は、AIには模倣できない強力な武器です。
もう一つは「楽器を演奏する人(プレイヤー)」。
DTMでの打ち込み技術の価値が下がる反面、ギターの速弾きやドラムのグルーヴ、ライブパフォーマンスといった、物理的に人間が演奏することの価値が相対的に上がっていくことが予想されます。上手な曲はAIが作れますが、汗をかいて演奏する姿は生成できませんしね。まあ、それもいずれできるようになるのかもしれませんが……。
BGM系が生き残る道
映像の背景で流れる安価なBGMや、仮歌といった「機能としての音楽」を作る仕事は、コスト面でAIに置き換わる可能性が高い領域といえるでしょう。
ただし、すべてが一様に消えていくわけでもないと考えています。
現時点でAIが明確に苦手としているのは、文脈を理解した上での音楽の最適化です。
例えば「映像の尺やカットに合わせた細かな構成」「ナレーションやセリフを邪魔しない帯域設計」「クライアントの曖昧な要望を汲み取り、音に翻訳する作業」。
こうしたディレクション能力や調整力は、依然として人間のほうが優位といえます。
BGM系の制作者の価値というのは、単なる作曲スキルではなく、こうした編集力・判断力・対応力にシフトしていくのではないでしょうか。
DTMerはいかに立ち回るべきか
残念ながら、いい曲を作り続けていれば、いつか誰かに見つけてもらえる、というストーリーは、AIの登場によって崩壊しました。
では、収益化やプロを目指すDTMerは、この先どう立ち回っていくべきか。
インフルエンサーを目指す
一つの方法として考えられるのは「曲を聴いてもらう→ファンになってもらう」というこれまでの順序を逆転させ「まずSNSで名前や顔、キャラクターを売る→その流れで曲を聴いてもらう」という順序にシフトすること。
TikTokやYouTube、Instagramなどを使い、曲よりも先に、まずは自分(あるいはアバター)に興味を持たせるようにします。極端な話、インフルエンサーになってから曲を出すほうが、圧倒的に聴かれる確率は高いです。AIが音楽を量産する現状において、希少価値は音楽そのものではなく誰が発信しているかにしか宿らなくなってしまったといえます。
ミュージシャンなのに音楽以外で勝負するなんて、と抵抗があるかもしれませんが、これは音楽を軽視するということではなく、音楽を届けるための導線を自ら作るというビジネス戦略です。
プライドを捨てAIを使い倒す覚悟を持つ

あえて生成AIをとことん使い倒すという方向性もアリです。
AIで作った曲をそのまま出すのではなく、それをサンプリングして切り刻み、自分なりのビートに乗せて再構築する、あるいは、自分では絶対に思いつかないような奇抜なフレーズをAIに作らせて、それを生楽器で演奏し直す。
こうすれば、AIは脅威ではなく、制作スピードとアイディアを加速させる相棒になり得ます。
さらに突っ込んだ話をすると、もし、商業的な成功やプロとしての活動を本気で目指すのであれば、すべてを自分の手で作り上げなければならない、という職人的なプライドは、捨てる必要があるのかもしれません。
かつてシンセサイザーや打ち込みが登場した時も、若者たちが新しい音に熱狂した一方で、保守的な層からは批判が相次ぎました。
あの世界的バンドのQUEENも、初期のアルバムには「No Synthesizers!」とわざわざ明記していたほど、当時は生演奏こそが正義という空気が強かったのです。
しかし結局、そんな批判をよそに、新しい技術をおもしろがって取り入れたクリエイターたちが、次世代の音楽を作っていきました。QUEENでさえ、のちの80年代にはシンセサイザーを積極的に取り入れ、時代に合わせた名曲を生み出しました。
現代における生成AIもまた、この系譜にあります。
これは排除すべき敵ではなく、歴史上もっとも強力な時短ツールであり、アイデアを拡張するための乗り物だといえます。徒歩で山を登ることに美学を感じるのも素晴らしいことですが、頂上に立つこと、つまり結果を出すことが目的なら、車でもヘリコプターでも、使えるものは何でも使って最速で登るのが合理的な戦略です。
AIにコード進行を考えさせ、仮歌を歌わせ、ミックスの土台作りさえも自動化する。その上で、人間は監督として全体をコントロールし、AIには出せない独自のセンスや、最後のひと手間を加える。「AIに作らせた」のではなく「AIを徹底的に使い倒した」といえるまでテクノロジーを飼い慣らす。
なりふり構わず変化に適応し、泥臭く時代を生き抜こうとする覚悟こそが、これからのクリエイターに求められる資質なのかもしれません。
生成AI楽曲の弱点

ここまで音楽生成AIに白旗を上げ続けたような文章を書いてきましたが(笑、現状、音楽生成AIにもいくつかの課題が残されています。
まず一つ目は、楽曲の責任主体が曖昧であることです。
人間が作った曲であれば「誰が作ったのか(著作者)」「誰が権利を持っているのか」が明確です。しかし生成AI曲の場合、サービスの規約上はユーザーの権利とされていても、法律上は、人間が創作していないので著作権が発生しない(誰のものでもない)、と判断される可能性があります。
それと同時に、もし既存の曲に似てしまって著作権侵害で訴えられた場合、その責任を負うのはプロンプトを入力したユーザー自身です。「AIが勝手にやったこと」は通用しません。
音楽を利用する企業にとって、この権利保護の弱さと侵害リスクの所在が見えないことは、採用を見送る大きな理由になり得ます。
二つ目は、AIの学習データに関する法的リスクです。
多くのサービスは商用利用可をうたっていますが、これはあくまでそのサービスの規約上はOK、というだけの話です。そもそもAIが、著作権のある大量の楽曲を著作者に無断で学習していること自体について、世界中で法的な議論が決着していません。もし将来的に規制が強化されたり、司法判断が変わったりした場合、違法な学習データで作られた曲として、過去に作った楽曲が配信停止や使用禁止になるリスクもゼロとはいい切れないのが現状です。
そして三つ目が、長期的なブランド構築ができないことです。
AIが作る音楽には、一貫した作家性や文脈が存在しません。昨日作られた曲と今日作られた曲の間に、成長や変化といった物語は基本的に生まれないのです。
音楽ビジネスにおいて重要なのは「この曲が好き」だけでなく、「この人の作る音楽が好き」「次も聴きたい」という感情の積み重ねです。AIは単発のクオリティでは強力ですが、時間をかけて信頼や期待を積み上げる存在にはなりにくい構造をしています。
つまり、AI音楽は「今すぐそれっぽい音楽を用意する」ことには最適でも、「誰かに覚えられ、選ばれ続ける音楽」には向いていないといえます。
上記の課題が解決されるまでは、人間が一から作る音楽にもまだ戦える余地はあるといえるでしょう。
あとがき
趣味として音楽制作を楽しむのであれば、音楽生成AIの登場は脅威ではなく、むしろ遊びの幅を広げてくれる存在といえます。一方で「曲で評価されたい」「音楽で何かを成し遂げたい」と考えている層にとっては、生成AIの進化は避けては通れない頭の痛い問題です。
この先、AIと同じ土俵でクオリティを競うのか、それともAIには持てない文脈や身体性、キャラクター性を武器にするのか、この問いにどう向き合うかで、DTMerの進む道は大きく分かれていくはず。
どの道を選ぶにしても、自分の内から出る表現というものが核にある音楽を作りたいところです。それがなかったら自分で音楽を作る意味がなくなってしまいますしね。
